お店で働いた長い年月は、私に何を教えてくれたのか?人とコミュニケーションについて
ホドニーンのお店「ドモス」から服飾の専門学校、そして副店長になるまで。お店で過ごした年月が、人とコミュニケーションについて教えてくれたことを振り返ります。
今、お店や販売との関わりがいったいどこから始まったのだろうと考えると、ずいぶん昔に遡らなければなりません。
私はまだ小さな女の子で、ホドニーンの小学校に通っていました。当時何歳だったのか正確には覚えていませんが、週末になると、母よりずっと若い母の友人が、ときどき私を仕事場に連れて行ってくれました。彼女はホドニーンの「ドモス」というお店で働いていました。そこではいろいろな装飾品、小さな花瓶、ミニチュア、飾り棚、そのほか数えきれないほどの品物が売られていました。お店そのものが、当時からとても好きでした。眺めていられる小さなものがたくさんあって、小さな女の子にとっては、少し違う世界だったのです。🙂
私はそのとき必要なことをお手伝いしましたが、何よりもすべてを観察していました。彼女がどう売るのか。お客さんとどう話すのか。どんなふうに商品を見せ、説明し、おすすめするのか。そして、販売そのものよりもっと心を惹かれたことがありました。人々がお互いにおしゃべりをする様子です。買いに来たものの話だけではありません。自分のこと、最近の出来事、あそこで何があったか、元気にしているか、そんな話もよくしていました。ときには、お客さんが私にも話しかけてくれました。お客さんは何度も来てくれて、もう店員さんとは顔なじみでした。おかげでお店全体が、まったく違う心地よい雰囲気に包まれていました。🙂
お昼になるとお店を閉め、シヴィハークというお店に昼食を食べに行って、それからまた販売を続けるのでした。
あのひとときは、今でも覚えています。そしてきっと、まさにあの頃に、私の中にお店と販売への愛情が生まれたのだと思います。家に帰ってからはお店屋さんごっこをして、店員さんの真似もしました。あるクリスマスには、子ども用のレジまでもらったのです。商品を「ピッ」と打って、自分だけの小さなお店を持っていました。🙂
八年生と九年生のころは成績がそこそこ良かったので、卒業資格が取れる学校を選ぶよう勧められました。結局、私はストラージュニツェにある服飾の専門学校に進みました。当時の私の想像では、絵を描いて、服をデザインして、生地を選んで、ファッションに関わって、それを売るのだと思っていました。ところが、手縫いやミシンの作業もあると知ったときの驚きといったら。しかも当時の私は、手仕事がまったく好きではなかったのです。🙂
それでも、私の専攻には販売の実習も含まれていたので、学校に通いながら食料品店に実習に行っていました。また、ときには通常の授業の代わりに、当時のテキスタイル工場「ショハイ」で実習をすることもありました。シャツの生産でとくに有名な工場です。どちらの場合も、人と人とのコミュニケーションは、仕事の自然な一部でした。
やっぱり、お店に惹かれていた
卒業後、私はお店で働くためにブルノで販売員の講習を受けました。当時はブルノまで通っていて、その間にも食料品店でもう一度実習をしました。それから何年もかけて、本当にさまざまな種類のお店を経験しました。小さな食料品店も大きな食料品店も、ファストフード、衣料品店、スポーツ用品店、建築資材のお店でも働きました。場所も品ぞろえも人も変わりました。私の役職も変わっていきました。販売員から始まり、シフトリーダーを経て、副店長の立場にまでなりました。いろいろな地方でも働いたので、人もコミュニケーションの仕方も、場所によって少しずつ違うことに気づきました。でも、変わらないことがひとつありました。お店の仕事は、いつでも何よりも人と向き合う仕事だったということです。🏪
お店での日々
「人と関わる仕事は最悪だ」
この言葉は、これまでの人生で何度も耳にしました。「人と関わる仕事は最悪だ」と。でも、私はそこまで言い切ることはできません。もちろん、長い年月のうちには、感じの悪いお客様にも出会いました。腹を立てて来る人、機嫌の悪い日の人、状況はもっと複雑なのに自分が正しいと思い込んでいる人。それでも、私の経験では、ほとんどのことは何とか解決できました。相手とどう話すかも大きく関わっていました。私は落ち着いて、礼儀正しくいること、そしてちゃんと聞いていると相手に伝えることを心がけていました。子どものころから「お客様は神様です」という言葉も聞いていて、それに従おうとしていました。
時間がたつにつれて、目の前にいるのがどんな人なのかを少しずつ見分けられるようになりました。ある人には、手短に要点だけを話すのが一番でした。別の人には、すべてを詳しく説明する必要がありました。怒って来た人は、まず話を聞いてもらいたくて、それからようやく解決策に耳を傾けてくれることもありました。そこには、ある種の心理学のようなものもあったのです。
怒っているお客様は、必ずしも敵ではない
たとえば、動かなくなった商品を持ってきて、すぐにお金を返してほしいと言う人がいたことを覚えています。でも、それは決して単純なことではありませんでした。クレーム対応には手順があり、その後どうなるのかを説明しなければなりませんでした。すでに腹を立てて来た人にとって、いちばん必要ないのは、店員までが一緒になって言い争うことだと私は思います。それよりも、不満に思う気持ちがわかると伝えるほうが、ずっとうまくいきました。私はあなたの敵ではないこと。解決策を探していること。私もすべてがうまくいくことを願っていること。そうすると、たいていは少しずつ落ち着いてくれました。
普通に解決できる可能性があるのに、お客様が怒ったまま帰ってしまうことは、私は決して望みませんでした。頭の中には、いつもひとつの単純なことがあったからです。この人にまた来てほしい。そして私と会ったあと、心地よい気持ちでいてほしい。
お客様との口論は、私には受け入れられなかった
のちに管理職として働くようになると、お客様の対応だけが私の仕事ではなくなりました。同僚を導くことも必要でした。それが簡単ではないこともありました。お客様とすぐに言い合いになってしまう同僚もいました。ときには汚い言葉も飛び交い、あっという間にありふれた問題が下品な口論になってしまうのです。それは私には受け入れられませんでした。私は少し違った育てられ方をし、のちには仕事でも少し違った指導を受けてきました。お客様は、反対側に立って向き合う相手ではありませんでした。もちろん、お客様がいつも正しいとは限りません。礼儀は、双方に必要です。でも、たとえ相手が間違っていたとしても、たいていの場合は、争いにならないように話すことができると私は信じ続けていました。
もしかすると、コミュニケーションの仕方がどれほど大切かを、いちばん強く感じたのはここだったかもしれません。ひとことで、人はさらに怒ることもあります。別のひとことで、まったく同じ状況が落ち着くこともあります。
当たり前だと思っていたことを褒められたとき
あるとき、上司が、私がお客様と気持ちよく話していることを褒めてくれました。それがそのときは、実は少し意外だったのを覚えています。褒められて嬉しくなかったからではありません。私自身には、お客様に優しく接するのがまったく当たり前に思えたからです。私はこう思っていました。どうしてその人に嫌な態度を取る必要があるの? 何かを買いに来たのです。相談が必要なのです。何かがわからないのです。あるいは、解決したい問題があるのです。私が疲れているから、あるいは私自身が機嫌の悪い日だからといって、どうしてその人に冷たくする必要があるでしょう? 私にも、この年月の間にもちろん自分の人生の問題がありました。ときには深刻なものも。生活のこと、個人的なこと、そのほか。でも、それを仕事に持ち込まないようにしていました。
職場に着くと、まるで別の世界が始まるようでした。そこにはお客様、同僚、やるべきこと、片づけなければならないことがありました。そして私自身の心配事は、しばらくの間ドアの向こうに置いておかれたのです。
でも、時がたつにつれて何かが変わった
お店で長年働くうちに、周りの環境が少しずつ変わっていくのを感じ始めました。時代が変わったのかもしれません。いくつかのお店の運営の仕方かもしれません。会社の期待かもしれません。あるいは、少しずつそのすべてかもしれません。私が育ってきて、知っていたものとは違う考え方に、だんだん頻繁に出会うようになりました。
一部の会社では、お客様はもう大切にすべき存在、いい気持ちでまた来てくれるべき存在とは見られなくなっていました。「あの人が来なければ、別の人が来る」というような言葉を、よく耳にするようになりました。同じことが従業員についても言われました。私個人としては、それを受け入れるのはつらいことでした。小さな女の子のころ、あのホドニーンのお店に立って、店員さんがお客さんとおしゃべりする様子を眺めていたときから、私は別のものに慣れていたからかもしれません。
私にとってお店とは、誰かが商品をカウンターに置いて、お金を払って帰っていく場所というだけのものではありませんでした。そこにはいつも人がいました。そして人がいなければ、どんなお店も存在しないのです。
結局、辞めなければならなかった
もちろん、それだけが、最終的にお店の仕事を辞めた理由ではありません。理由はいくつもありました。それでも、人と関わる仕事はこうあるべきだという私の考えが、周りで目にするものとあまりにもかけ離れ始めていると、だんだん強く感じるようになりました。もう以前ほど意味を感じられず、幸せや満足も感じられなくなっていました。そして、一人の人間では仕組みは変えられません。精一杯、自分の仕事をすることはできます。お客様にも同僚にも礼儀正しくいることもできます。でも、自分だけでは変えられないこともあるのです。そうして、私は最終的に辞めました。
あの年月が私にくれたもの
それでも、お店で過ごした年月を無駄な時間だったとは決して思いません。むしろ逆です。数えきれないほどのことを教えてくれました。お客様も同僚も、さまざまなタイプの人に出会いました。たくさんの人生の物語を聞きました。ストレスの中で、プレッシャーの下で、あるいは物事がうまくいかないときに、人がどれほど違う反応をするかも見ました。耳を傾けることを学びました。説明すること。解決策を探すこと。すぐに挑発に乗らないこと。そして、ときにはしばらく黙って、相手に最後まで話させるほうがいいということも知りました。
いろいろなお店のおかげで、実用的な知識もたくさん身につきました。食品のこと、衣料品のこと、スポーツ用品のこと、さまざまな素材のこと、そしてお客様にはたいてい見えない、お店の運営の仕組みについても。けれど、いちばん学んだのは、やはり人についてかもしれません。誰もが、それぞれの物語を抱えてやって来るのです。
今、お店に入って、感じがよくて、気持ちのいい、話しやすい店員さんに出会うと、いつも嬉しくなります。🙂
きっと、ごくありふれた接し方がどれほど違いを生むかを、私はよく知っているからでしょう。笑顔。挨拶。ちょっとした普通の言葉。アドバイスしようという気持ち。大げさなものは何も要りません。そして同時に、カウンターの向こう側にいる人が、お客様には思いもよらない何かを抱えているかもしれないことも知っています。もちろん、それは逆もまた同じです。目の前に立っている人が、どんな事情を抱えてやって来たのか、私たちには決してわからないのです。
もしかすると、これがお店の仕事が私にくれた、いちばん大切なことのひとつかもしれません。どのお客様にも、どの店員さんにも、その人の人生があり、心配事や喜びがあり、それぞれの物語があります。そして、ときにはただお互いに、少しだけ人間らしく、優しくあるだけで十分なのです。
今、ホドニーンの「ドモス」にいたあの小さな女の子、店員さんがお客さんとおしゃべりするのを眺めていた子のことを思い出すと、ちょっと笑顔になってしまいます。
あのころの私は、もちろん、自分の人生の何年をお店で過ごすことになるのか、まったく知りませんでした。あの年月からは、素敵で楽しい思い出もたくさん残っていて、今でも思い出すと笑顔になります。🙂
でも、きっとあのころにすでに、今日まで私の中に残る何かが始まっていたのだと思います。私は人が好きです。人とおしゃべりして、その人たちの物語に耳を傾け、一緒に笑って、ときどきどうしてその人がそう反応するのかを理解しようとするのが好きです。そして今はもうカウンターの内側に立っていなくても、あの年月からずっと持ち続けているのは、まさにこれなのです。🙂